100% 嘘八百 ♪ PRINCEを愛するD&Pによる、PRINCEをめぐる妄想の数々


by DandP

 補足しておくが、キャバクラ嬢をばかにしているのではない。あの、店の前にずらっと並ぶ写真の勝負顔について言っているのである。しかし、あれは実際、商売のために勝負媚を込めた顔なのだから、正しいのである。それをシロウトが普通の記念写真でやるからヘンなのである。

 高校の修学旅行の集合写真は今、みんなどんな顔をして写っているのだろうか。


 さて、「処女の恥じらい」とはなんであろうか。
はたして今現在ほど処女の価値の下がった時はないのではないだろうか。
もっとも処女性に価値を見出されたのは、明治やそこらの近代になってからだという説も聞く。家(資産)同士の結びつきとしての結婚が重要視され、そこに嫁入りという契約が交わされる。その嫁の価値としての「生娘」であるという説。それまでは普通の生活人として、結婚の前に何度か通ったり、盆踊りの晩にいい仲になったりと、まあ、いろいろあった様なのである。

 なにしろ盆踊りというのは、いわばレイヴ・パーティ。やぐらの上の生演奏で踊れや踊れの、魂熱くするパーティだったのだ。歌い手も時節ネタご当地ネタを盛り込んだライムを即興で盛り込み、毎年あちこちで引っ張りだこ。盆シーズンにはちょっとしたツアーだ。時々HIPHOPを民謡みたいと思うことがあるだろうが、みたいなんじゃなく、そのものなのだ。昔の言い伝えでは、茨城あたりで毎年大きな盆踊りがあり、あちこちの村々から踊りに集まり、そこで誘われない女は女じゃない、という。

 なんのために人はそうして踊りかつまた出会うのかというと、つまりは遺伝子プールを豊かにするためなのだ。農村の集落の中でだけ婚姻を繰り返すことは、その社会が閉じていれば閉じているほど遺伝上のリスクを伴う。さまざまな状況に対応し子孫を増やすためには、多くの遺伝情報があったほうがよい。それは某国のやんごとなき血筋の方が平民と結婚しなければならなかったり、漂流者に島の女を差し出すのと、同じ理由と考えられる。


 また話がすっ飛んでいってしまったが、恥じらいに戻ろう。今現在、胸を張って「処女です」と言えるだろうか?ある程度の年齢になって処女であるというのは、恥ずかしいことになっていないだろうか。ひと昔前なら舌噛んで自ら命を絶ってまで守ったものを、「処女のままでいるのもみっともないから、ま、いっか」とお付き合いを始めることもままあるこの時代。こんな時代において「処女の恥じらい」とは、事の最中に

「アタシ、こんなことなんとも思わないわ。なんてことないことなのよ」

と震えながら思うことなのである。



そこで、ひろみちお兄さんなのである。
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by dandp | 2003-12-11 02:17 | ひろみちお兄さんの秘密