100% 嘘八百 ♪ PRINCEを愛するD&Pによる、PRINCEをめぐる妄想の数々


by DandP
 そういうわけで、ひろみちお兄さんはナルキッソスの末裔であったわけなのだが、一応、検証しよう。

 その二の子供を蹴っ飛ばしてた、というのは、これは不慣れならばいたしかたないことだろう。蹴っ飛ばしたくてやったわけではない。カメラにアピールしながら、周りで跳ね回るガキんちょ共を気遣うのは、並大抵のテクではない。

 その三の筋肉誇示だ。筋肉の一番美しい時とはいつであろう。もちろん使っている、あるいは使い終わった後の隆起した時だ。だから筋肉で商売してる人は、本番前に筋肉をよく使っておかなければならないのだ。
 ま、お母様方の前でそれをるのだから、アピールする対象があるということでナルちゃんとは少し違うと思うだろう。
 だが、そう、だがいったいそんなにまでして画面で筋肉をアピールする必要が、教育テレビの体操のお兄さんに必要なことなのか。

必要なことなのである。

すくなくとも日体大出身者にとっては。

これは、るりぞーさんのお友達の思い出のごとく、深く私の心に焼きついた光景なのだが、ひとつ今日は、この思い出話に皆さん、お付き合い願いたい。

 ワタクシD&Pが、まだ女子高生であったころ。女子高という女ばっかりの世界に少し馴染んできた頃、ひとりの日体大の若者が体育教師として教育実習にきた。女の私ですら慣れるのに時間がかかったというのだから、彼がどのくらいパニックに陥ったか、想像できなくもない。
いろいろ端折るが、彼が教育実習を終える日、私たちクラスで先生へのお別れの歌とプレゼントを用意し、お定まりの涙を流したまでは良かった。

 そのまま大団円で職員室にもどりゃいいものを、感極まった彼は
「お返しにお見せしますっ!」
と言って、教室のカギと廊下側のカーテンを閉めさせ、やおら服を脱ぎ始めたのだ。クラス52人の女の子達は「きゃーー」と叫んだのはゆうまでもない。

白のトランクスいっちょになった彼は、応援団のようになにか口上を述べた後、「おさるのかごや」の歌にあわせ、日体大名物であると言う体操をして見せた。女の子達が叫び続けたのは、言うまでも無い。

21歳、バカな男である。

後日談。その男、もちろん校長室に呼ばれたりしたらしいが、次の年、先生として再びその学校にやってきた。当然のことながら、生徒からはクスクス笑われ、彼はバツが悪そうだった。まぬけな話である。しかし、大人になって今思えば、なんでそんな男を女子高に雇うか?学校よ。先生の大半が生徒と結婚をしているようなところだ。おおらかな時代だね。

横道にそれっぱなしだが、その体操。詳しく描写するには、このD&Pの筆は稚拙すぎる。各自想像していただきたいが、要は「筋肉のための筋肉よる筋肉賛美」。我らがひろみちお兄さんも、これをやってたんだろうか。

筋肉を鍛えると言うことは、すでにナルシストの称号を背負っているのである。

赤ちゃんが泣いたので、つづく。
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# by dandp | 2003-12-17 02:25 | ひろみちお兄さんの秘密

 ひろみちお兄さんの決めポーズを見ていると、たまたまトイレで化粧直し中の女性のとなりで手を洗ってしまった時、ふと、鏡越しに目が合ったときのバツの悪さに似たようなものを感じる。
 そしてそれはまだテレビ慣れしていない彼、ひろみちが、不慣れさを隠すために「なんでもないぞ、カメラ目線なんて」と作った顔なのだと思っていた。
 ワタクシD&Pは、まだ彼をオボコい生娘だと勘違いしていたのだ。

ひろみちお兄さんを「ちょっとヘンだ」と思っている人は、実は少なくないようだ。子供を持つ女性と会話した時、ひろみちお兄さんの話を振ってみて感じた。そして、この説を彼女らに話した時、もっと長く彼を見ている女性から

「いや、彼はそんな玉ではない」

と聞かされた。
つまりは、こうである。

・驚愕の真実その一
  ひろみちお兄さんは体操のお兄さんに就任したはじめの頃、かなり濃いアイラインをびっちり引いており、化粧が濃かった。

・驚愕の真実その二
  不慣れなせいか体操に夢中で、時々子供の足をひっかけ転ばしていた。

・驚愕の真実その三
  これが一番驚愕なのだが、ひろみちお兄さんはリハーサルや仕込みの待ち時間、子供をスタッフに預けてスタジオ内で見学中のお母様方の「わざわざ」前に来て、腹筋を始める。


・・・なにが処女じゃ、このビッチめ!見て見てちゃんめ!!
いやいや、彼をそんな風に責めるのはまだ早い。
そう簡単に人を罵倒してはいけない。
きっと、それなりの理由があってのことに違いない。 
 

この話、まだまだ、続く!
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# by dandp | 2003-12-13 02:20 | ひろみちお兄さんの秘密

 補足しておくが、キャバクラ嬢をばかにしているのではない。あの、店の前にずらっと並ぶ写真の勝負顔について言っているのである。しかし、あれは実際、商売のために勝負媚を込めた顔なのだから、正しいのである。それをシロウトが普通の記念写真でやるからヘンなのである。

 高校の修学旅行の集合写真は今、みんなどんな顔をして写っているのだろうか。


 さて、「処女の恥じらい」とはなんであろうか。
はたして今現在ほど処女の価値の下がった時はないのではないだろうか。
もっとも処女性に価値を見出されたのは、明治やそこらの近代になってからだという説も聞く。家(資産)同士の結びつきとしての結婚が重要視され、そこに嫁入りという契約が交わされる。その嫁の価値としての「生娘」であるという説。それまでは普通の生活人として、結婚の前に何度か通ったり、盆踊りの晩にいい仲になったりと、まあ、いろいろあった様なのである。

 なにしろ盆踊りというのは、いわばレイヴ・パーティ。やぐらの上の生演奏で踊れや踊れの、魂熱くするパーティだったのだ。歌い手も時節ネタご当地ネタを盛り込んだライムを即興で盛り込み、毎年あちこちで引っ張りだこ。盆シーズンにはちょっとしたツアーだ。時々HIPHOPを民謡みたいと思うことがあるだろうが、みたいなんじゃなく、そのものなのだ。昔の言い伝えでは、茨城あたりで毎年大きな盆踊りがあり、あちこちの村々から踊りに集まり、そこで誘われない女は女じゃない、という。

 なんのために人はそうして踊りかつまた出会うのかというと、つまりは遺伝子プールを豊かにするためなのだ。農村の集落の中でだけ婚姻を繰り返すことは、その社会が閉じていれば閉じているほど遺伝上のリスクを伴う。さまざまな状況に対応し子孫を増やすためには、多くの遺伝情報があったほうがよい。それは某国のやんごとなき血筋の方が平民と結婚しなければならなかったり、漂流者に島の女を差し出すのと、同じ理由と考えられる。


 また話がすっ飛んでいってしまったが、恥じらいに戻ろう。今現在、胸を張って「処女です」と言えるだろうか?ある程度の年齢になって処女であるというのは、恥ずかしいことになっていないだろうか。ひと昔前なら舌噛んで自ら命を絶ってまで守ったものを、「処女のままでいるのもみっともないから、ま、いっか」とお付き合いを始めることもままあるこの時代。こんな時代において「処女の恥じらい」とは、事の最中に

「アタシ、こんなことなんとも思わないわ。なんてことないことなのよ」

と震えながら思うことなのである。



そこで、ひろみちお兄さんなのである。
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# by dandp | 2003-12-11 02:17 | ひろみちお兄さんの秘密

ま、つづきね。

考えてみたら、カメラ目線ですざまじいオーラを発するなんて、我らがプリンス以外に誰がいるのよっつー話ですが。そのプリンスだって写真と動画と、ファンだけど言っちゃうけど、「スキの無さ具合」に多少の開き具合があるんだから、

あ~~~~~~、まどろっこしい!

プリンスだって動いてる時は顔にスキがあるんだから(言っちゃった!)、化粧の直しで整えた顔を、合コン会場までキープできるはずないし、必死で顔を作ってると不自然でヘンな表情の人になってしまうのは必須。鏡の顔を自分の顔と思うのはやめろ、っちゅー話ですよ。
ま、続けます。

で、投稿妊婦の話でした。
 顔だけ見るとキャバクラの入り口に並んでいる「おかわりオッケー」の女の子なのだが、身体が妊婦なのである。イメージ的に遠い所にあるふたつのものがマッチングする様は、見ている者の概念を揺さぶる。

・・・というか、最近はそういう女の子が年代的に妊婦の王道でもあるので、そこに違和を感じるかどうかで、その人の年代も分かると言うものなのだが、つまり、何かしっくり来なくて見ているものの心を不安定にさせる、ということが言いたくてこの例をあげた。
ひろみちお兄さんによって、ワタクシD&Pはココロに日常とは違う感覚を覚えたのである。


 ひろみちお兄さんの独壇場といえば最後の歌と体操である。
「あ・い・う!」である。さあ、見覚えのある方は、ご一緒に!!
見せ場、「慌てたアヒルが、あ!」はまだいい。「いたずらイルカが、イ!」もまだいい。「うさぎが転んで、う!」のポーズはなんだ!?「園長先生、えっ!」はなんだっていうのだ!?そして、特に「怒った狼、お」にそれを感じるのだ。あの一連のポーズにおける「ホントはこんなことしてませーん」的なはぐらかしは、なんなんだ。

ワタクシD&Pは、はじめそれを「処女の恥じらい」のようなものだと思った。
そう、ひろみちお兄さんをもっと長くウォッチングしている人によって
驚愕の真実を聞くまでは・・・・!
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# by dandp | 2003-12-09 02:14 | ひろみちお兄さんの秘密

 このネタ、暖めすぎた感もある。
また、「静岡のプリファン某まいちゃんに捧げる」つもりで予告したが、捧げられてもあんまり嬉しくない内容であったので躊躇もあったのだ。しかし、当のマイテ嬢、今やすっかり野村某にややこしく参っているらしいので、まいいか、と始めてしまう。ボロクソ言っても怒られることはあるまい。なにより、頭の中から出たいとネタがいうのである。

 ひろみちお兄さん、と言われても誰のことだか分からない諸氏もいることだろう。NHK教育の子供番組で体操のお兄さんをしている、佐○浩○氏のことである。人目にさらされる若い男性の宿命として、女性に人気がある。女性ったって、お母様たちだ。お兄さんが嬉しいかどうかは、ワタクシD&P、当然のことながら知る由もない。

 と、いうよりもワタクシD&P、ひろみちお兄さんについて知ってることはほとんど無いと言っても過言ではない。それなのに、いや、それゆえにひろみちお兄さんについて、深く考えるようになってしまったのだ。


 ひろみちウォッチャーになってから、まだ日は浅い。
初めて彼を見たのは、「だんご3兄弟」なる歌が流行っているらしいと聞きチャンネルを合わせたときだから、かれこれ・・・すいません、各自計算してください。

 「だんご3兄弟」を見るには見たが、それよりも強烈な印象を受けたのが、このひろみちお兄さんだ。その印象を言葉にするのは難しい。なんというか、「見慣れないものを見た」あるいは「見るべきものではないものを見た」とでも言うのだろうか。なにか、画面からはみ出す違和感があったのだ。

 テレビと言うものは、写った瞬間に「テレビの人」になる。それは製作者側が「見るもの」として演出し編集してあるからでもあるし、映る側が「見られる人」として出来上がっているからでもあると思う。
考えてもみて欲しい。対象のないテレビカメラに向かって、力いっぱい笑うには、どれだけのエネルギーが必要だろうか。とても半端なシロウトにできない行為である。
そのように、ある程度約束された世界から逸脱しないからこそ、私たちはメシを食いながらでも普通にテレビを見ていられるわけである。


 だが、ひろみちお兄さんには、なぜか不思議とテレビからハミ出る過剰ななにかを感じたのだ。


その「感じ」を何かに例えるのなら、そう、こんな感じだ。
 トイレで化粧を直している女性のとなりにいると、なにか気恥ずかしくなることはないだろうか。その化粧直しの表情を見てしまうと、だ。
 鏡を見るとき、人は自分の気に入った表情を作るものだが、普段は残念ながらそんな顔をしていない。鏡で自分のお気に入りの顔を整えるわけだが、現実に「顔」をみる人はその「見せたい顔」を見ることはないのだ。



鏡の顔を形作っているもの、それを人は自意識という。



ま、昨今カメラなどで自分撮りが定着し、この「鏡顔」で写る事は珍しくない。久しぶりに妊婦雑誌など本屋でチェックしていると、20代前半の若い妊婦がお腹の記念撮影のため、ビキニで撮った投稿写真が掲載されていて、大変興味深かった。まだガングロの名残のあるフルメイクにストパーをあてた茶髪、上目使いでアメリカンホームダイレクトのように広げた指を耳の脇にあてがうポーズ。アピール!アピール!なのである。
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# by dandp | 2003-12-08 02:09 | ひろみちお兄さんの秘密

出産のごあいさつ

  第二子出産の折のご挨拶文。
  乗っけておきます。
  その節は、ありがとうございました。





私事で申し訳ありませんが、「おめでとう書き込み」ありがとうございました。また、メールやカードをくださいました方々にも重ねて御礼申し上げます。

 産みやすくかつ、育てやすい体重の女の子が生まれました。朝、なんかお腹が痛いかも、と思ってから正午には誕生しましたので、軽いお産であった様に思います。
 もちろん、お産というものはかかる時間などには関係なく、みなそれぞれの必要なプロセスを経てやってくるようです。

かのマドンナ大先生が「ショウとは旅のようなもので、それぞれの行程に意味があり、途中の駅を飛ばしては目的地に行けない」という主旨の発言をしておられました。お産もまさにそのようなものであり、人一人生まれてくるには、それなりのプロセスとドラマがあるようです。


 子供は、誰もが自分の生まれたときのことを親に聞くのが好きだと言います。お腹にいたときのこと、生まれたときの皆の様子、聞かされるときはウットリとした顔をするそうです。それは自分が愛されていることの確認のようなものかもしれません。自分が愛によって生まれてきたことを、人は確認するために、甘えてみたりすねてみたり、時にはバットを振り回してみたり、するようです。

・・・いや、バットっつーのが家庭内暴力の黎明期っぽくて古臭いですね。今や家庭に金属バットなんかないんでしょうね。サッカーボールを蹴り付けられたとて死にはしないので、サッカーの盛んなことはいいことですね。そういえば、ボールをパスしあって敵を倒す戦隊モノがあったことを思い出しました。

 というわけで、さまざまなエピソードを携えて、無事出産できました。いつか娘に話してやりたいと思います。
きらきらした天気のいい日曜日、いてもたってもいられないかのように生まれてきたこと。
たくさんの「おめでとう」を言ってもらって迎えられた命であること。

ありがとうございました。


それから、助産院までの一時間弱、車の中で聞いた曲。
セットリスト、つーんですかね。
LUCKY STAR
BORDERLINE
BURNING UP
HOLIDAY   MADONNA
LET'S GO CRAZY
TAKE ME WITH U
WHEN DOVE CRY 
  ~PURPLE RAIN   PRINCE

ベタですけどね、踊りまくりましたわ車で。
4分おきの陣痛とか、堪えながら(笑)。
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# by dandp | 2003-11-16 02:03 | ふつう日記

フリーダ

フリーダ
当然ですが、ネタばれです。
見に行っちゃったんだもんね。それでもって、当初、この妄想日記ではネタのみを発表し、個人的な生活に基づく日々の雑事は書かないつもりだったのに、感想なんてまた書いちゃうんですわ。


 フリーダ・カーロという作家を好きなのは、たいがい女性であると思う。しかし、苦手な女性もいる。私と一緒にメキシコに行った女は、絵の前でこう言った。
「やっぱり、嫌いだわ、こんな絵」

それは、戸川純が好きか嫌いかとか、まあ、そういう感性に順ずる問題であると思う。「痛い」メンタルヘルス系を受け入れられるかどうか、その辺にかかっているとも思われる。

 だが、しかし。
忘れてはならないのは、彼女がラテンアメリカ、それもメキシコの女だということだ。「サバイビング・ピカソ」という映画、まだ見ていないのだがなんとなく失敗してるんじゃないかなと思うのは、ピカソのある種の奔放さについて、彼がアングロサクソンではなく、ラテン人だということが視野に入ってるように思えないからだ。
同様、フリーダの絵を考える時、ラテンアメリカの地を思わないわけにはいかない。その呪術を。マジックリアリズムの大地を。
 そこには「痛い」系などという可愛らしい情緒を軽く超えた、強い色彩の魔術がある。

 彼女はシュールレアリストではない。
ラテンアメリカ的世界に属した心象風景画家であると、私は思っている。彼女は内なる事実を描いた作家なのだ。だから歴史的事柄と、彼女が見た事柄とはおのずと違ってくるはずだ。映画でも写実的な表現に、コラージュやアニメーションを使った彼女の創作に結びつく映像を上手く絡ませている。が、なんというか、見終わった感想といえば、上手な伝記映画の域を出ないなあ、という感じ。

 ディエゴとの愛を主題とするなら、奔放でありながらも母親に代表される古いカトリック的な価値観を持ち、彼の裏切りに傷つきながらも彼を求める矛盾なんかも深く掘り下げて欲しかった。
また、彼女の画家としての作品世界に重きをおくなら・・・・。
 まあ、伝記に出てくるエピソードを上手に盛り込んで、しかし、せいぜい伝記に出てくる程度なのである。
そう私が思うのは、要するに私がフリーダ・カーロのファンで関連する本もいくつか持っているからであって、映画としてはいいとこなのかもしれない。

 なによりも、怖れていたよりドロドロしてないってとこがよかった。
それが前記した「ラテンアメリカであること」なのである。


 フリーダとの出会いは今から13年位前、ドイツの本屋のディスプレイだ。暗くて寒くて世界中が灰色でオマケに長いドイツの冬、ドイツの田舎町(確か州都のはずだけどさ)のメインストリートにある本屋に、それはあった。そのガラスの向こう側だけ色彩に満ちた別世界で、身体中に釘の刺さったギブスの女や顔だけ人間で矢に射されまくった鹿が、やたら生命力にみなぎって描かれていた。果物を描いた静物画はエロスそのものだった。

 当時見たドイツ現代美術の巡回展のタイトルが「DENKENKUNST」(思考の芸術)と銘打っていたのと真逆だと感じた。キャバレー文化やマックス・エルンストの回顧展、はたまたドイツと言えば表現主義絵画、いろんなものを目にする機会に恵まれたが、それらはどこか「思考力」に強い支配を受けているように思う。

 フリーダの絵画は「魂」で描かれており、それもゼーレやスピリットという「魂」ではなく、「コラソン」であるのだ。コラソンというスペイン語には、極私的偏見であるが、あらかじめ「トリステ悲しみ」が宿っている気がする。それも私から見ると、なんだか趣味でやってるような実は楽しそうな「悲しみ」なのである。


 その悲しみや痛みと、妙にあふれた生命力に圧倒された。


それからずいぶんと時間が経って、メキシコをたずねる機会に恵まれた。
残念ながら、フリーダ・カーロ美術館となっている彼女の家は清掃&修理中で休館していた。が、彼女の夫ディエゴ・リベラを擁護していた女性パトロン(当然関係していたが)の家を改装した美術館で、フリーダの絵をいくつか見ることが出来た。画集とはかなり印象が違い、まずその小ささに驚く。それは身体上の理由から、彼女が小さなキャンバスにしか向かえなかったことと、その絵の緻密さにある。

 しかし、なによりも、彼女の絵が親しい友人にそっと送ったような、ささやかで奥ゆかしい印象をもっていたことに驚く。もっとふてぶてしく自分の感情を叩きつける女だったら、いっそ、楽に絵を見れただろうに。
 強烈でささやかな彼女の世界に、胸をうたれる。



そんでもって、お土産自慢。
 なかなか他のミュージアムショップでは手に入らないであろう物たち。
①フリーダと恋人(誰だかわかんねえんだ、スペイン語わかんねえから)が交わした書簡のレプリカ。彼女が大切に入れておいたケース(紙製)に入っていて、その消印のカスレ、便箋のしみ、キスマークの口紅の油分のにじみまでご丁寧に再現されてるヤツ。とにかくロマンティックでラブリー。
②フリーダちゃん着せ替えブック。絵画の中で彼女が着ている衣装を彼女の紙人形に着せ替えられる。治療のために着けていた石膏のコルセット(ギプスにカラフルな絵が描いてある)まで忠実にある。女の子向けだけあって、少々美化されており、眉はつながってるがヒゲはない。

以上。
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# by dandp | 2003-08-22 01:59 | 映画の感想

ひろみちお兄さんの秘密


 ひろみちお兄さんについて語ること、それは「自意識」についての冒険をすることである。

 とか書き始めて、最近の妄想日記のスタイルが、まるでケーシー高峰の医療漫談なことに気付く。
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# by dandp | 2003-08-06 02:07 | ひろみちお兄さんの秘密
  えーーっとこの話題。
  その後に付いたレスがものすごくレベル高く、すばらしいので、それも掲載。
  映画を語るって、みなさん、ほんと素敵だ!!



つづけちゃうもんね
 とにかくマルコは、いい男なのだ。
しかも、昏睡した恋人の前で悩み、たえず事故の前の「話したいことがあるの」という言葉を反芻していたのに、その意味が前の恋人と縁りを戻したつーのであるのに。

 ベニグノの愛は慈しむ愛であると思う。もちろん、どんな愛も危ういバランスの上に立っており、正解などない。
彼女を介護する手は、観ていて感心するくらい上手だった。いやーー、4ヶ月稽古したというが、役者やめても食っていけるくらい上手にリンパを捕らえてマッサージしていた。そういった事務的でない上手な介護の手が、欲情していた夜は介護が出来ない手になったいた。
上手に語る手だったと、身体の演技に感動。

 子供にとって一番の虐待は、無視することである。意識的な無視(しかとのようなイジメ)ではなく、まったくの無関心。これは確か、うろ覚えの知識で申し訳ないが、17世紀あたりの貴族の研究者が行った実験である。貧しい小作人達の子供を買ってきて、行った実験である。
 子供はその環境の言葉を聞いて育つから、そこの言葉を話すのであり、生まれてからなにも話し掛けず関わりを持たなければ、もともとの言語、つまり神の御国の言葉を話すに違いないと、集めた子供に一切話し掛けず関わらず過ごさせた。
 実験の結果はどれも失敗に終わる。
なぜなら、子供たちがみんな死んでしまうからだ。
語りかけ慈しむことこそが、命の力になるのだ。

 昏睡から覚めた若い女は、子供を身ごもり死産していたことも、ベニグノのことも、何も知らされていないだろう。彼女の顔は、慈しまれて育った子供のように、明るく輝いている。正解のない愛は複雑な形になったが、彼女の根底にはベニグノが与えた慈しみが宿っている。

 最後上演されるピナ・バウシュのダンス作品のように、男と女はいかようにも出会うものだ。ダンスのパートナーを変え、いかようにも踊るだろう。
マルコとアリシアは出会い、その形は恋愛になるのかもしれない。それは誰にも分からないけれども、二人の間には、ベニグノという、確かで不可視の愛が存在する。

ながなが、すみませんね。



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mayte
うむ~。ますます見たくなってきた『トーク・トゥー・ハー』。私は、D&Pちゃんとは違う意味で『ベティーブルー』の最後は嫌いなんですが(フランス映画がそもそも嫌い)あの映画自体は奇蹟的に好き。
2003/08/04(Mon)/01:18:09 No.238

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mayte
で、昏睡から覚めた彼女に慈しみが生きているって言うくだりなんですが、やっと腹に落ちた。なにが落ちたかっていうと『ボクシングヘレナ』という映画のラストシーンでのヒロインの眼差しの意味。慈しんでもらったっていうのは、身体に根付くと言うか、一番染みると言うか。ま、あれは慈しみとは言い難い訳だけども。
2003/08/04(Mon)/01:20:17 No.239

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mayte
で、D&Pちゃんが今回言いたいところの部分に似た感じで、私が大好きなのは『男が女を愛する時』って言う映画でのアルコール依存症になってしまった妻を必死で克服させようとする夫。あれはだいぶ前に見たけど、今でも思い出すだけで泣けてしまう。実話だって言うからさらに。たしか、バンデラスが本当にメラニーグリフィスをそうやってアルコール依存症から救ったとか。素晴らしい。そう言う男はおらんかね~。
2003/08/04(Mon)/01:23:05 No.240

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hrry
素晴らしい!
わしの文才のなさとは大違いですなぁ。
パンフレットに載っててもおかしくないよ。

もっと勉強しないと(汗)・・・反省。
夏休みの宿題にしときます。

あと、何の映画観に行こうかなぁ。
2003/08/04(Mon)/10:12:52 No.241

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D&P
で、結論。
バンデラス、やっぱりいい男なのね。
2003/08/04(Mon)/22:23:10 No.244

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D&P
ハリーさん、貴方の映画話は一級です。
ぜひ、またピッチャー片手に語って聞かせてください。

といいますか、お二人ともいらっしゃいませ。
2003/08/04(Mon)/22:28:12 No.245

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るりぞー
ども。ふらっと入って観た映画でしたが。これなんだかはまりましたんですわ。ピナ・バウシュもだけど、カエターノが出てくるとは思わなくて。聞きながらマルコが又泣くですよ(涙)あの曲欲しさにサントラ買ったお馬鹿です(爆)「縮みゆく恋人」もまた良し。
2003/08/05(Tue)/02:43:59 No.249

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りん
ベニグノの手つきはすごかった。
4ヶ月の訓練の賜物だったんですね。
しかし、
あの顔がどうにも受け付けなくて・・・(汗





2003/08/05(Tue)/18:08:27 No.250

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りん
彼女を彼女として見ているのではなく、
自分の色眼鏡で、理想化して見ている。
これって、よければ、
一途で献身的にもなるけど、
一方、暴走もしやすいかと(汗

彼女が昏睡状態にならなかったら、
彼はストーカーになってたでしょう。
だから劇中の「罪」にも納得。




2003/08/05(Tue)/18:11:54 No.251

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りん
DPさんも書いてらしたけど、
愛に正解も不正解も無いと思うけど、
こういう形は
個人的には好きではないです。

彼女に宿った彼の慈しみ。
もし、真実を知ったら
彼女はどう感じるのか?
非常に興味があるところです。
2003/08/05(Tue)/18:13:22 No.252

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D&P
るりぞーさんはカエターノというあの歌い手さんを前からご存知だったのですねー。すごい歌でしたね。私も映画の後CD屋で物色しました。が、まだ買ってないんです。サントラにするか、彼個人の収録盤にするか、迷ってて・・・。オススメのアルバム、ありますか?
2003/08/05(Tue)/22:10:52 No.253

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D&P
おーー、りんさんだ!映画と言えばりんさん。確かにベニグノのあの、なにかが余った感じの肉体と顔、生理的にどうかと思いますよね。役作りなのか、そういうキャラなのか、ぴったりでした。「マグノリア」の警官役だった時には感じなかったけど、「シカゴ」のジョン・C・ライリーに、同じような「余った感」を感じました。所在無さ、とでもいうのでしょうか。
2003/08/05(Tue)/22:19:17 No.254

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D&P
アリシアが事故に会わなかったら、どうなっていたのでしょうねー。「恋された者」特有の傲慢さでコテンパンにフッてたでしょうか。しかしベニグノも図太いみたいですしね。病院の同僚とはなんてことなく話せるのに、恋した人とは上手にバランスを保てない。なんの接点もない相手に恋してしまったら?しかもマッタク女性慣れしてない人間が・・・。恋という幻想の彼女しか知りえぬまま、彼女は昏睡してしまう。
2003/08/05(Tue)/22:37:47 No.255

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D&P
もしベニグノがもっとイケテる男だったら、王子様のキスで目覚めるお姫様のようなお話になって、あんまりドラマや葛藤は生まれなかったかも。ベニグノのしたことは、罪。彼女への最大の侮辱。ところがその結果として、彼女は救われてしまう。その矛盾こそが「人が生きること」に思えてなりません。
2003/08/05(Tue)/22:48:49 No.256

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D&P
彼女がもし、真実を知ったら・・・。
どうでしょうね、まず「げっ!あの男かよ、キモッ」とシャワーを浴びるかもしれないし、ショックで寝込むかも。自分のまったく知らない間にも、自分は生きていたのかと、不思議な気持ちになり、別の人生のように感じるでしょうか。
彼女と同じ世界の住人になろうとしたのに、入れ違いでその願いも叶わないベニグノ。

2003/08/05(Tue)/23:10:09 No.257

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D&P
ベニグノだけじゃなく、あの映画に出てくる人は、みな孤独。永遠に分かり合えない他者へ、それでも皆それぞれのやり方で出会おうとする、話し掛けようとする、触れようとする。それが恋愛の素晴らしさなのかも。

なんか、やたらと人と話したくなる映画っすね。
2003/08/05(Tue)/23:11:24 No.258

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D&P
つか、私が延々語ってるだけじゃんよ~~~。

ハッズッカッシッ
(controversyのリズムで)
2003/08/06(Wed)/20:22:41 No.264

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りん
いや。DPさんだけではありません。
実は語りたいのです。
しかし、色んな映画の登場人物と
照らし合わせちゃったりと、
訳わかんなくなりそうなんで自粛中。
またカキコに来るかもです(笑)

とりあえず。「シカゴ」の
ジョン・C・ライリーの「所在無さ」は
すごくよくわかります(笑)
割と歌が上手かったのにはびっくり♪
2003/08/08(Fri)/00:45:55 No.269
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# by dandp | 2003-08-04 01:53 | 映画の感想
トーク トゥー ハー

やっと見に行けました。
公開前からずっとチェックしていたのですが、なかなか行けませんでした。「オールアバウト マイ マザー」の監督だし、題材も興味深かたのです。

 ケアについてのモノガタリだと思いました。

女には大まかに二種類の人種がいて、一つは「ベティ-・ブルー」が好きな女、もう一つは「ベティ-・ブルー」が嫌いな女。
 好きな女は「私の映画!」と言い、嫌いな女は「人がせっかく正気でがまんしてるのに、とっとと向こう側に行きやがってコノヤロウ」と言う。
 ワタクシD&Pは、もちろん嫌いな女の一人だ。
常軌を逸してしまいそうになるのは、女ならよくあること。
しかし、残念ながら、いろんな意味で後片付けをしなければならないのは、たいがい女なので、どうしたって冷めて現実に向き合わねばならないのである。そこいくと男は、偏見かもしれないが「理想を理想のまま持っていられる」。美しいものを美しいままにしときやがるのだ。

 例えば「お前の幸せだけを望んである。どんな時でもお前を助けたい」つーことを言ってる男がいるとする。
だが、残念ながら、現実はこうだ。もし貴女が自分のシリアスな問題に忙しくて、彼をかまえなかったとする。すると男は貴女のシリアスな問題など容赦せず、かまってくれない貴女に嫉妬し、難問をふっかけて来るか、拗ねて暴れるのが関の山。とても助けてくれなどしないのだ。
そして後から男は言う。「俺は寂しかったんだよ。」
 どんなにいいこと言ってる男も、結局はメンタルな後片付けは女にさせるのである。そうして現実を知り、女は少しだけ歳をとるのだ。

えーーーと、まあ、所論ございますが、そういうことにしておいて、話を進めます(アセアセ)。
 
さて、そこで「ベティ-・ブルー」である。私がアレを許せんと思うのは、ラスト。殺しちまうくだりである。
介護しろォ!!!オラァ!!おむつを換えろ!!
お前だけ美しく終りやがって、汚さ醜さも引き受けてみんか、ばか者が。てな気分なのである。ケツのひとつも拭いてみんかい、オラァ!

 そこで「トーク トゥー ハー」なのである。
介護士であるベニグノは当然ながら、マルコもまたケアをする側の人間である。ベニグノの友人として彼をケアし、過去10年にわたり一人の女を薬から救うため旅をして暮らす。女闘牛士の深い絶望の声を、その瞳から聞き取ってしまう男なのだ。

 冒頭、ドイツの重要な振付家ピナ・バウシュ率いる「ヴッパタール舞踊団」の作品「カフェ ミュラー」の舞台を、主人公である二人の男は観る。この映画でピナの作品が使われていることを知らなかったので、私はずいぶんビックリしたのだが、このダンス作品に涙を流す男が描かれているのに、また驚いた。
 ほとんど下着姿の中年を超えた女が、クラシカルな椅子とテーブルが並んだ室内(閉店後のカフェを思わす)を夢遊病者のような空虚な手振りで彷徨う。男はその女が椅子やテーブルにぶつからないように、必死でその行く手をさえぎるものをどかして歩く。その向こうで、女の動きをより抽象化したような、もう一人の女が踊っている。
 ピナの作品はとても悲しく、時にかなりユーモラスに男と女の「わかりあえなさ」を描いている。その絶望を。
 その作品に涙を流せる男なのである。
そんな男には、嘘をついてごまかすことなどできない。怖いが、本当に素晴らしい感受性を持った男であると私は思う。
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# by dandp | 2003-08-03 01:51 | 映画の感想